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ヘレディタリー/継承を観る、そして考察する

アリ・アスター監督の作品、ヘレディタリーを観た。
なかなかに面白いホラー作品であったが、解釈が難しいところや幅がありそうな作品だったので記録と感想と共に残しておく。

以下はネタバレありなので注意。


アリ・アスター監督作品はミッドサマーを1年くらい前に見て、衝撃をうけた。
そんな監督作品だからこの作品もどんな恐怖が待ち受けているのかとドキドキしながらの視聴だった。
ミッドサマーはスウェーデンの明るく、美しい映像とともに身の毛もよだつ恐怖が描かれれるという
不思議な映像体験であった。
一方のヘレディタリーは一般的なホラー映画的な暗く陰鬱とした絵作りであった。
こうした違いから一体どういったタイプのホラーなのかワクワクしながら見ることとなった。

物語の概要

ヘレディタリーはアメリカのとある一家にまつわるお話である。
家族構成は
祖母:エレン。アニーの母、冒頭で葬式が行われる
母:アニー、主人公。ミニチュア造形作家として家で仕事をしている。夢遊病を患っている。
父:スティーブン、アニーの夫。
息子:ピーター。アニーとスティーブンの子。高校生。
娘:チャーリー。アニーとスティーブンの子。13歳。祖母によって主に養育されていた。様子が変なところがある。ナッツアレルギー。
祖父:アニーの父。物語の始まるしばらく前に精神病を患い餓死する。
アニーの兄:チャールズ、父の死後、自殺する。
となっている。
上にジョーンというアニーを交霊術に誘う人物を加えれば主な登場人物は網羅される。

冒頭では祖母の葬儀が行われ、主に祖母によって養育されていたチャーリーの様子がおかしな部分が描写される。
チャーリーはコミュニケーションが苦手な様子で、授業中に自作のおもちゃのようなもので遊んでいたり、鳩の首を切断してその首を持ち歩いたり奇行が目立つ。
その後ピーターが学校にて誘われたパーティーにチャーリーも行くことになるが、パーティ会場でナッツを食べてしまい呼吸困難になる。
ピーターは慌てて車でチャーリーを運ぶが、窓から顔を出していたチャーリーが電信柱に激突し、頭部が切断されてしまう。
ピーターはショックのあまり、現実逃避し、そのまま家に帰ってしまう。
翌日、チャーリーの死を知ったアニーは錯乱し、家族関係がぎこちなくなっていく。
アニーはカウンセリングで知り合ったジョーンという女性から交霊術を学び、家族で行う。
儀式は成功するものの、そこからピーターは幻覚などを見始めるようになる。
アニーも交霊術に違和感を覚え、交霊につかったチャーリーのスケッチブックを燃やそうとするが
スケッチブックを火にくべると自身の体も燃えてしまうことが判明する。
ジョーンに相談に行くアニーだったが、そこにあったウェルカムマットを見て、ジョーンと母であるエレンが知り合いである可能性に気づく。

考察

超常現象か否か、ストーリーにおける段階的ホラー要素の変化

この物語の最初から中盤までは心霊的な怖さよりはスプラッタ的な怖さやサイコ的な怖さが打ち出されているように思える。
具体的に言えばチャーリーは鳩の首を切断するし、
中盤の見せ場はチャーリーの切断された頭部が虫にたかられているグロい映像である。
また、アニーはグループカウンセリングで自身の父母そして兄が精神を病んでいたこと、自身も夢遊病であることを気にしており、
子供たちもいずれ精神に問題を抱えるのではないかと気に病んでいることが窺える。
しかし物語後半から交霊術がでてきて一気に心霊系の話だったのかという流れに変化する。
さらに終盤では、祖母エレンによる悪魔崇拝の話がでてきて、ミッドサマー的なカルトや異教徒の話になる。
悪魔崇拝が判明することろではホラーモキュメンタリーのような人怖も味わえる。
つまり、物語の流れで異なるホラーを段階的に味わえるのが本作の特徴であろう。

まとめると
序盤〜中盤:スプラッタ、グロ、サイコホラー、人怖
中盤:心霊
終盤:異教徒、サイコホラー、人怖、グロ、心霊
こんな感じだ。

一方で、映画で描かれていることを解釈したときにいわゆる超常現象が存在したのか、あるいは幻覚だったのかも重層的に捉えることができるにはないかと思われる。
つまり、映画の内容をそのまま受け入れる態度として
心霊現象は存在しており、チャーリーは交霊術で出現した。また、チャーリーには悪魔ペイモンが宿っており、終盤の儀式によりピーターに悪魔ペイモンが継承されたという見方。
次にチャーリーが心霊現象をおこしたことは認めて、その魂がピーターに受け継がれてたことまでは認めるとするが、悪魔ペイモンの存在に関しては認めないという見方。つまり、チャーリー(あるいはそれより前の媒体のなった人)に悪魔が乗り移っているというのはあくまで悪魔崇拝集団の幻想、妄想あるいは希望でしかないという見方。
最後にチャーリーに付随する心霊的現象もなんらかのトリックの上で行われているとする見方。

上の二つは超常現象を認める派、最後は一切認めない派の見方という形になっている。
一切認めないという態度を貫いてこの映画を見ることができるだろうか。
すなわち、超常現象的に描かれている部分は勘違いや思い込みあるいは悪魔崇拝集団が行った何らかのトリックであると解釈できうるだろうか。
素直にみたらNoだろう。
例えば最初に家族で交霊術を行う部分はアニーの仕込みだと理解することもできなくはない。
アニーがチャーリーの存在を認めたいがばかりに、また、その前にジョーンに怪しげな薬?薬草?を飲まされたばかりに
夫と息子ピーターが信じるように仕込みをしたというように理解できる。
(あるいは悪魔崇拝集団がこっそりと仕込んだとも解釈できる)
しかし、交霊術でのチャーリーとの媒介になっていたスケッチブックを燃やすとアニーや夫、スティーブンの体まで燃え上がってしまうことは説明しにくい。
特にスティーブンの燃え上がり方は人知を超えたものであることを示すような激しい燃え上がり方であった。
極め付けは、ラストに窓から飛び降りたピーターに光る煙のようなものが近づき、彼の中に入っていくシーンである。
あれはまさにピーターの中にチャーリーすなわち悪魔ペイモンが継承されたことを示すシーンだが、
悪魔崇拝集団がわざわざあんな形で演出をする必要はないのであれは超常的現象といえよう。
つまり、映画の中の描き方としては間違いなく超常現象を扱っているといっていい。
しかし、個別の現象一つ一つについて仕込みやトリックだったのか、あるいはまごうことなく超常現象だったのかということに関しては議論が残る。
受けての読み取り方次第で判断が割れるところが多数あるのだ。
それが本作の面白いところに一つではないかと思う。
なぜ本作の魅力になるのか次で考察していこう。

すべては悪魔崇拝集団の策略だったのさ

終盤においてチャーリーの奇行や事故死やアニーが交霊術に勧誘されたこと、アニーの母、エレンの墓があばかれたこと、さらには物語が始まる以前にあったエレンの異常な行動や父の餓死、兄の自殺など、すべてが悪魔崇拝集団によるものであったということがわかる。
そしてこの集団はピーターに悪魔ペイモンを乗り移すために策略を巡らしていたことがわかる。
このシーンでは前半から中盤にいたるメイン内容であったチャーリーの事故死から交霊術までが悪魔崇拝集団の仕掛けた罠であると種明かしされるだけではなく、悪魔ペイモンの紋章のネックレスを母エレンがしていたこと、母エレンの葬儀に来ていた見慣れない人々が悪魔崇拝集団のメンバーであったことなどの細やかに配された伏線が一気に回収される瞬間でもある。
この小気味よさと相反する恐怖感は謎解き編やホラーモキュメンタリーに見られるような恐怖感と知的好奇心をくすぐるアハ体験に近い。
筆者は放送禁止シリーズや最近話題になったイシナガキクエを探していますが好きなのでこの構成には痺れてしまった。

さて、上で述べたように本作でおきていたことの多くは悪魔崇拝集団の仕組んだことであった。
例えば、チャーリーの死は事故死のように見えたけれど、悪魔の紋章が描かれた電信柱にぶつかったことから仕組まれた死であることが示唆されている。
では、交霊術は悪魔崇拝集団が仕組んだことだろうか。
アニーに交霊術を行わせたこと自体は仕組まれた罠であったが、交霊術で起きたことはどうだろうか。
あれも仕込みだろうか、あるいは本当に霊現象なのか。
こうした要素を選り分けていく作業にこの映画の面白さ、さらに言えば考察が捗る楽しさが隠れている気がする。

例えば主人公アニーの行動についてこの選り分け作業を行ってみたい。
アニーは当初、母エレンの影響を受けたチャーリーを大事に思いながらも
疎ましく思っている節もありそうな様子が見られた。
しかし、本当は我が子として愛していた。
それはチャーリーが亡くなった後の行動から明らかだろう。
(チャーリーに毒親エレンの影響と受けさせる原因を作った自分が責められているような気がしてチャーリーのことを邪険に扱っていたのだろうと推察される)
交霊術を知ったアニーはチャーリーにもう一度会いたい一心であったのだろう。
その後、悪魔崇拝集団の暗躍をしったアニーは今度は家族を守るために自身が死ぬことをいとわず行動する。
しかし、その結果、自身の夫が炎に包まれて死亡することになる。
ここまでは自身の意思に沿って行動しているように見える。
しかしこの後アニーの表情は豹変し、信じがたい行動をとるようになる。
まず、ピーターを待ち受けて天井にはりついている。
この行動の異常性もだが、身体能力が飛躍的に上がっている気がする。
さらにこの後、ピーターをおいかけるもののピーターには屋根裏部屋に逃げ込まれてしまう。
しかし、いつの間にか屋根裏部屋に入り込んでおり、天井に吊るされていた。
こうした異常性はどのように捉えればよいのだろうか。
いくつか解釈ができるのではないかと思う。
まず、第一に悪魔崇拝集団によってコントロールされていたとする説。
これはジョーンの部屋に招かれた際に怪しげな茶葉のような薬のようなものが入った飲み物を飲まされていたことから
何らかの薬物あるいは効能のある食品によって自由意志を奪われ操られていたと考えられる。
この説だとなぜ、スティーブンが焼死したタイミングで効果が特に効き出したの説明がつかない。
また、屋根裏の天井にピーターに気づかれずに吊り下がった説明がつかない。
第二に悪魔、あるいはそれに準じるものに憑依されていた説。
自分の夫、スティーブンが焼死したタイミングで憑依されて、ピーターを追い、自らの首を切ったということ。
これだと、屋根裏にいつの間にか入り込んでいたことなどが説明がつく。
ただ、なぜスティーブンが死んだタイミングで憑依されたのか。
もっと前からアニーに取り憑いていれば話は早かったのにという気がしてしまう。
第三にチャーリーすなわち悪魔ペイモンに乗っ取られていたとする説。
第二の説の変形だが、アニーを介してからピーターに乗り移ったと考える。
この場合、第二の説のように謎の存在を仮定しなくてすむ。しかし、なぜ最後の最後になってアニーに乗り移ったのか、あるいは乗り移れたのかの解釈が難しい。
また、アニーは例の舌鳴らしをしていないので、映画的にも乗り移ったと考えない方が自然だろう。

こんな感じで色々と考察しがいがあるのが本作の特徴ではないかと思われる。


首無しの意味

この映画でしつこく描かれていること、首無しあるいは首切断である。
チャーリーは電信柱との衝突で首がもげる。
母エレンは墓を暴かれた上で首を切断される。
主人公アニーは自ら自分の首を切断する。
そして、最後のツリーハウスでは首無しのエレンとアニーの遺体がひざまずいて悪魔ペイモンが乗り移ったピーターを迎える。
なぜここまで首を切る必要があるのか。
これは悪魔ペイモンの姿に由来しているのと思われる。
ja.wikipedia.org
王冠を被り、女性の顔、男性の体をもつようである。
ラストシーンでピーターに王冠が被らされるのはこれが由来であろう。
また、作中で語られるように憑依させるためには男性の体が必要であり、
そのためにピーターは悪魔崇拝集団から狙われるのである。
しかし、ピーターはまだ幼さは残るものの女性の顔ではない。
そこで女性の顔をどうぞつけてください、ピーターに捧げますよ、という意味で首を切っているのではないかと考えられる。
これは首を切られるのはピーターの肉親のみであることも証左である。
ミッドサマーよろしく顔の皮膚だけはがされてピーターにかぶせるというシーンはさすがになかったが・・・。

チャーリーという名前

悪魔崇拝集団の一員であり、悪魔ペイモンの妃であった母エレンは、
ペイモンの先代の媒体であった夫の後釜を探していた。
それが、アニーの兄のチャールズである。
アニーのグループカウンセリングでの独白に依れば作中の時点でチャールズは自殺しているようである。
また、セリフからしてチャールズは母エレンによる継承を避けるために自殺したようである。
つまり、エレンと悪魔崇拝集団はペイモンの次なる媒体を失ってしまったのである。
そこでアニーの子供に白羽の矢が立った。
アニーは毒親だったエレンからピーターを守るために、次子だったチャーリーを渡してしまう。
こうしてチャーリーにはペイモンが宿ることになったが、この運命はチャーリーの名前にも表れている。
チャーリーは男性名であるチャールズ、あるいは女性名であるシャーロットの愛称、もしくは変化形らしく男性名でも女性名でも使える。
チャーリーという名前が愛称なのか本名なのかは不明だが、
チャールズを意識してつけられた名前であることは明らかである。
つまり、チャールズの代替としてのチャーリーの存在がうかがえる名前である。

考察しがいのありそうなよくわかっていない点

なぜ悪魔崇拝集団の男女は裸なのか。
裸がでいることがそういった集団であである証なのか。

ピーターの同級生の中にも悪魔崇拝集団がいたのか。
チャーリーが電柱に激突したのは悪魔崇拝集団の策略であったことが示唆されるが、
急いで病院に向かうきっかけとなったアレルギー反応はかなり偶然の事態に見受けられた。
事実はそうではなく、チャーリーがナッツを食べるようにケーキの製作者に悪魔崇拝集団が潜んでいたのか。

ツリーハウスで儀式を行なっていた理由はあるのか。
三角屋根に意味があるのか。
また、アニーがヒーターを持ち込んで赤く窓から覗かせいたのには意味があるのだろうか。

絵や写真のピーターの目の部分にバツを描くのはなぜか