サマーウォーズを久しぶりに見た。
結論から言うと、全体としては佳作だと思う。
でも、正直ちょっとキツかった。
なんというか、目を背けたくなる瞬間が何度かあった。
昔見たときはそんなことなかった気がするので、これって単純に自分が大人になったということなんだろうか。
たぶん「楽しめなくなった」というよりは、
物語の作りの“手つき”が見えるようになった、という感覚に近い。
家族の結束の強さとか、主人公の誠実さとか、
全部が少しずつ「物語として都合よく配置されている」感じがしてしまう。
昔はそこに素直に乗れていたのに、今は一歩引いた目線が入る。
むしろ「よくできている」と思う部分も確実にある。
だからこそ余計に、「乗りきれなさ」だけが浮いてくる。
あと改めて思ったのが、サマーウォーズってかなり世界系なんだなということ。
ごく個人的な関係性や感情が、そのまま世界の危機に直結する。
もちろん家族という共同体が前面に出ているので典型的な世界系とは少し違うけれど、
構造としてはかなりそれに近い。
でも最近、世界系ってあまり聞かなくなった気がする。
それは単に流行の問題なのか、
あるいは世界が広くなりすぎたからなのか。
今は、社会や技術や政治や経済みたいなレイヤーがあまりにも可視化されていて、
「個人の感情がそのまま世界を動かす」という感覚に、昔ほどリアリティが持てなくなっている。
言い換えると、世界が複雑になったというより、
自分がその複雑さを知ってしまった。
その結果として、
「自分は世界に対して無力である」という感覚のほうが強くなっているのかもしれない。
だからこそ、サマーウォーズのような物語のまっすぐさが、
少し眩しくて、少しサブく見えてしまう。
それでも、この映画はやっぱり「夏休みの映画」なんだと思う。
ある種のおこさま向けのまっすぐさ、
家族と、恋と、事件と、そういう全部盛りのエンタメ。
帰り道に「帰ったら夏休みの宿題終わらせるのよー」っていうお母さんの声が聞こえてきそうな折り目の正しさ。
そこにちゃんと応えようとしている誠実さは感じる。
ただ、その中で一番引っかかったのは夏希というキャラクターだった。
いわゆる「マドンナ」的ポジションで、
あざとくて、かわいくて、「こういう子好きだろ?」という設計がかなり見える。
実際かわいいとは思う。
でも冷静に見ると、やってることはだいぶヤバい。
おばあちゃんに嘘をつくし、状況の作り方もかなり強引だし、
それがほぼ無批判に受け入れられているのがちょっと怖い。
昔は「まあ映画だし」で流せていた部分が、
今は引っかかる。
結局のところ、この作品に感じた「キツさ」は、
作品の問題というより、自分の変化なのかもしれない。
昔は素直に乗れていたものに、
今は距離をとってしまう。
でもそれは、感性が鈍ったというよりは、
むしろ見えるものが増えたということなんだろう。
そう考えると、この映画を今の自分で見直せたこと自体は、
けっこう良い体験だったのかもしれない。