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伽藍洞です。

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映画さがすの感想

映画『さがす』は、行方不明になった父を娘が追うというシンプルな導入から始まりながら、やがて家族の喪失、貧困、介護、死への誘惑へと踏み込んでいくサスペンス映画である。

前半は、娘・楓の視点から父の失踪を追うミステリーとして進み、観客は彼女と同じように「何が起きているのか分からない」不安の中へ放り込まれる。一方で後半は、父・智の視点へと切り替わり、隠されていた真相が少しずつ明かされていく。

その構成は非常に面白い反面、個人的には後半でやや説明しすぎているようにも感じた。前半に漂っていた不気味さや余白が、種明かしによって少し薄れてしまった印象がある。

ただし、ラストだけは別だ。卓球のラリー、父娘の会話、遠くで鳴るサイレン。その曖昧な終わり方には、観客に解釈を委ねる強い余韻が残されている。

この記事では、『さがす』の前半と後半で変化する物語構造、実在の事件を思わせる要素、そしてラストシーンに残された余白について考えていきたい。

 

 

 

 

あらすじ

佐藤二朗演じる原田智は、娘の楓と大阪・西成で二人暮らし。妻を亡くしてから生活は荒れ、かつて営んでいた卓球教室も手放し、今は日雇いで食いつなぐ日々を送っていた。

 

ある日、智は楓に「300万円の懸賞金がかかった指名手配犯を見つけた」と話す。楓は本気にしなかったが、その翌朝、智は突然姿を消してしまう。


父を探し始めた楓は、智の名前を日雇い労働のリストに見つけ、現場へ向かう。しかし、そこで父の名前を使って働いていたのは、まったく知らない若い男だった。


失意のまま再び父をさがす楓。だが、街に貼られた指名手配犯のポスターを見た瞬間、彼女は気づく。父の名を名乗っていた青年こそ、父が話していた連続殺人犯・山内照巳なのではないか――。

 

父はなぜ消えたのか。指名手配犯と父の間に何があったのか。楓は真相を追ううちに、家族の過去と、思いもよらない事件の核心へと近づいていく。
前半の『さがす』は、行方不明の父を追う娘の視点から、家族の喪失、貧困、死への誘惑を描いたサスペンス映画。軽い失踪事件に見えた物語は、やがて息苦しいほど重い真実へと転がっていく。  

 

前半と後半で変わるストーリー

『さがす』の前半は、行方不明になった父を娘が追いかける物語として進んでいく。

父はなぜ突然姿を消したのか。父が話していた指名手配犯とは本当に存在するのか。そして、父の名前を名乗っていた青年はいったい何者なのか。

大阪・西成の空気感も相まって、前半はかなり不穏な雰囲気がある。サスペンスでありながら、どこかホラーじみた怖さもあり、観客は娘と同じ目線で「何が起きているのか分からない」という不安の中に置かれる。

この、先が読めない感じがとても良い。父を探す話のはずなのに、いつの間にかもっと大きくて危険な事件に巻き込まれていくような感覚があり、前半の引き込み方はかなり強い。

 

後半は、父親側の視点に切り替わる。

言わば何があったのかという種明かし的な幕へ移行する。

父がなぜ消えたのか、指名手配犯とどう関わったのか、そして家族に何があったのか。いわば、物語は“謎解き”や“種明かし”の方向へ進んでいく。

この構成自体は面白い。娘の視点では見えなかった裏側が明かされることで、物語の意味が変わっていくし、単なる失踪事件ではなかったことも分かってくる。

ただ、ここは好みが分かれるところでもあると思う。

面白い反面、少し説明しすぎにも感じる

後半の種明かしによって、物語の全体像はかなりはっきりする。伏線が回収され、登場人物たちの行動理由も見えてくるので、ストーリーとしてはきちんと整理されている。

ただ、そのぶん前半にあったミステリアスさや、不気味さは少し薄れてしまう。

個人的には、前半の「何が起きているのか分からない怖さ」がとても魅力的だった。だからこそ、後半で答えをかなり丁寧に見せられると、少し種明かししすぎのようにも感じた。

もちろん、謎が解けること自体は気持ちいい。しかし、この映画に関しては、もう少し含みを残してもよかったのではないかと思う。観客側に想像させる余地が少なく、すべてを説明されてしまうことで、前半の不穏な余韻がやや弱まってしまった印象がある。

また、素直に疑問に感じてしまった点として楓の母の死の理由である。楓の母は筋ジストロフィーに侵されており、夫である智の懸命な介護も虚しく病状は悪化。最後には自殺を試みるようになる。この部分が物語の智の動機に大きく関わっている一方で実の娘である楓が一切出てこないのだ。

 

 

実在の事件を思わせる要素

『さがす』は完全な実話映画ではないが、観ているといくつかの実在事件を連想させる作りになっている。

特に強く感じるのは、「自殺願望を持つ人に近づく殺人犯」という設定だ。これは、SNSやインターネットを通じて被害者と接触した事件を思わせる。たとえば座間9人殺害事件では、2017年に神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかり、被害者には自殺願望を抱えていた若者が含まれていたと報じられている。『さがす』の山内照巳という人物にも、そうした「死にたい人間を狙う」現代的な不気味さが重なって見える。 

また、物語の中で重要になるALSの智の妻と死の問題は、ALS患者嘱託殺人事件を連想させる。ALS患者が医師に薬物投与を依頼し、死亡したとして医師らが逮捕・起訴された事件で、単なる殺人事件ではなく、「本人の意思」「介護する側の限界」「死を選ぶ権利」といった重いテーマを社会に突きつけた。『さがす』でも、父・智が妻の介護と死に直面することで、倫理的に簡単には割り切れない領域へ踏み込んでいく。 

さらに、指名手配犯をめぐる展開には、市橋達也の逃亡事件を思わせる部分もある。リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件で指名手配された市橋達也は、逃走中に身元を隠しながら生活していたことで大きく報じられた。『さがす』でも、山内が他人の名前を使って日雇い現場に入り込んでいるため、「指名手配犯が普通の社会に紛れている怖さ」が作品の不穏さにつながっている。 また、孤島で暮らしていたとの報道もあったが、孤島ではないものの意識したと思われるロケ地が選ばれている。

そして、直接的なストーリーの元ネタというより、未解決事件の不気味さとしては世田谷一家殺害事件も重なる。家人を殺した後我が物顔で家の中を歩き回りアイスを食べるシーンは明らかに犯人と言われる人物の行動をなぞったものであろう。

 

特に前半は、父の失踪を追う娘の視点で進むため、事件の全体像が見えない。その分、現実の犯罪ニュースを見ているときのような嫌な生々しさがある。指名手配犯、日雇い労働、貧困、介護、自殺願望。どれも映画の中だけの話ではなく、現実社会と地続きに感じられる。

 

ラストの余白

前述の通り後半の「見せすぎ」が残念なところに個人的に感じたのだが、最後だけは少し違う。

ラストでは、智と楓が卓球をしながら会話をする。そこで楓は、智がやったことをすべて分かっているような言葉を口にする。智は明らかに動揺する。

やがて外からパトカーのサイレンが聞こえてくる。楓は「迎えが来たで」と言う。普通に考えれば、智が逮捕されることを示しているように見える。

しかし、そのサイレンは一向に近づいてこない。

卓球のラリーは、そのまま続いていく。

ここがとても面白い。警察が本当に来ているのか。楓が通報したのか。それとも、サイレンはただ偶然聞こえているだけなのか。智はこのあと逮捕されるのか。それとも、父娘はこのまま曖昧な関係を続けていくのか。

映画はそこをはっきりとは描かない。

最後にだけ残る「観客に委ねる」感覚

『さがす』は、後半でかなり丁寧に謎を明かしていく映画だと思う。だからこそ、観客が想像する余地は少し減ってしまう。

けれど、ラストシーンだけは違う。

卓球のラリー、父娘の会話、遠くで鳴るサイレン。それらを配置したまま、映画は明確な結論を出さずに終わる。

智は裁かれるのか。楓は父を許したのか。それとも、許してはいないけれど、娘として最後に向き合おうとしたのか。

その答えは観客に委ねられている。