があらんどう

伽藍洞です。

突然の出会いの世界音痴

ある日初めて知ったも物事をそう時間たたずに再びどこかで見聞きする現象というものがある。私はこのような現象が多い気がするから少しのことにもちょっと運命を感じる気がするのである。

 

今回はそんな出会いをした穂村弘の世界音痴を読んだときの記録。

www.shogakukan.co.jp


 


きっかけ

最近youtube有隣堂の知らない世界を見ている。その中に芸人の又吉さんが出ている回があるのだが、その中で彼の本屋の歩き方が紹介されていた。その中でも詩歌のコーナーには必ず立ち寄るというものがあった。正直私には全く経験のないことだったのでこれには驚いた。というか詩歌のコーナーが書店の中の一つのコーナーとして存在することすら知らなかった。(もちろん、あって当然なのだが、全くの意識の外であった)

詩歌のコーナーで彼が紹介していたのが穂村弘の「シンジゲート」であった。私は詩歌に全く興味がなかったから恥ずかしながら知らない方だった。ただ、30年ぶりに新装版がでたという表紙が素敵であったため、心惹かれた。

さらに又吉さんは穂村弘さんが良いよ~という流れで世界音痴というタイトルを挙げた。このタイトルには衝撃を受けてしまった。なんとも気になるタイトルではないか。世の中からはみ出し浮いている間隔がある意味謙虚にウィットに富んだ表現であらわされている。俄然購入したくなっていた。

 

思いがけない出会い

そんなことを思っていた週の休みの日に行田市に行くことになった。電車を乗り継いで小旅行という感じで行田市まで出かけた私は目的の行田八幡神社にも参拝した後、さあてどこに行こうかと思案していた。

下調べをせずに来たものなので行田市というのがどういった場所なのか全く知らなかったのである。調べると古墳がある。古墳好きな私としては気になるところ。さらに調べると稲荷山古墳出土鉄剣が出たところが近いということに気付いた。

金錯銘鉄剣 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館

これは見なければと調べると博物館が改装のため休館であった。どうも私はこういうのが多い。おまけにこれから当面の間、鉄剣は展示しないらしい。

落胆していると忍城というお城があることを知る。なんか聞いたことがあると思うとのぼうの城のモデルであった。これは行かねばということで向かう途中に本屋さんが。見ると小さい町の本屋さんであるが、中はきれいだ。しかし店の前の看板がその本屋の歴史を語っていた。「忍書房」。かっこいい。


行田市には手水花がいたるところにある

忍という字がかっこいい。私が来日した日本大好き外国人ならば忍者の巻物が売ってる本屋さんかと思うだろう。

思わず入店。小さな本屋さんだしラインナップはそこまで期待していなかったのだが、とてもいい意味で裏切られてしまった。すごくいい。素敵なラインナップだ。いつまでもいることができるくらい素晴らしいラインナップが揃っている。

興奮しながら棚を見ていると店主の方がアトロクブックフェアのパンフレットを持ってきてフェアやってるんで~と紹介してくれた。

www.tbsradio.jp

どこか別の本屋でも見かけてそのときは流し見くらいしかしなかったのだが、今回はじっくり見てみることにした。

観てみると気になっていた穂村弘「世界音痴」があるじゃあないか。紹介しているぜったくんさん(ぜったくん - Wikipedia)は存じないが、欲しいと思っていた本→偶然出会ったこんな素敵な本屋さん→思いがけず見つける→買うしかない。ということに相成ったわけである。

店主さんは心から本が好きな様子でこの本を持っていくと著者の穂村さんの本に関する話がでてきたが、残念ながら穂村初心者の私は気の利いた返事ができず申し訳ない。

ちなみに一緒にいった彼女は夏葉社の本が好きで買っていたのだが、店主さんは夏葉社の社長さんとも友人だそうで色々な話を聞かせていただいた。きっとこの本も好きだと思うよという感じで本の紹介までしていただいた。本から世界が広がるということを体現したような素敵な店主さんである。遠いがまたお邪魔したいものである。

話がそれてしまったが、以上が私が世界音痴を買った経緯である。

 

感想

三部構成からなるエッセイ集である。部はエッセーのスタイルが変化する。大半は一部で構成されていいて1ページ半の短いエッセー集なので読みやすい。

本書の単行本は2002年に出版されているようだが、その当時の感性だとしたら、あるいは僕が高校生くらいのときに読んでいれば今以上の衝撃を受けただろうと感じる内容。というのは小さいことで悩んでしまう自分、どこか世間とすれ違い生きづらさをどこか抱えている人、とはいってもそれによっておそらく自殺まではしない人に焦点(ご本人なのだろうが)あたった本であるからだろう。

良くも悪くも個性の尊重という価値観はここ20年くらいで普及した概念なのでこうしたエッセイや考え方は珍しくなくなった。(もちろんだからといってこうした価値観、個性的な人が生きやすい世の中になったかというと決してそんなことはない気がするが)今読んでしまうと当時鮮烈であったろう切り口がややぼやけてしまう気がした。でも著者の独特な語り口はいまだに陰鬱としたないようながら軽快でどこか爽やかで楽しい。

また、特徴的なのが、各エッセイの末尾に短歌が掲載されていることだろう。歌人のエッセイらしい特徴ともいえる。落ちの役目も果たしいていて爽やかな読後感を巧妙に演出している。名前が書かれているところを見るとご本人の短歌だけでなく他の方がの短歌も載っているようである。

表紙もいい。回転ずしのレール越しにオレンジの服の著者。ビビットな色使いで90年代を思い出す。(単行本化は00年代だが)

表紙にもなっている通り、回転ずしの話もある。(9P、回転寿司屋にて)回転ずしで好きなネタを探すために、上流のネタの方を未来と表現するのが良い。回転ずしに行く機会があったら使ってみよう。寿司の輪廻という表現も使ってみたいね。エッセイで語られている回転ずしで好きなネタを口頭で注文しにくいと感じてしまうところ、漫画、孤独のグルメの回転ずし回を思い出す。あ~吉祥寺の天下寿司いきたいなぁ。

表題の世界音痴は飲み会が苦手という話。「自然さ」を失ってしまったばかりに円滑なコミュニケーションができないということである。これを世界音痴と呼んでいるわけだ。これに関してよくわかる人も多いだろう。私もその一人である。この原因の一つは私は感情の瞬発力が不足しているためだと思っている。楽しい、面白いときに笑う、不快な時に怒る、悲しいときに泣く。感情とそれによって発露する反応。この間に遅延が存在することが原因であろうと思うのだ。特に私は怒りの瞬発力に関する筋力が不足している。

48Pからはじまる「切り替えスイッチ」の末尾にある短歌がとてもいい。「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだりせつないこわいさみしい」読むと同時に情景が浮かぶようだ。悩みを話すかいもないのに、(無言で)すべてを受け止めてくれそうな象のうんこ。昼間に排便されてそのときは湯気も上がらんばかりにホカホカだったのにサバンナの夜にはすでに冷え切っているだろう象のうんこ。熱容量がとても大きいだろううんこ。この大きい(だろうと思わせてくれる)熱容量を持っているのが良いじゃあないか。一人さみしく夜を越すうんこ。たのもしいうんこ。