があらんどう

伽藍洞です。

ファンタスティックプラネット考察

前から気になっていたアニメ、「ファンタスティックプラネット」がYoutubeで2週間限定公開をしていたので見た。
www.zaziefilms.com
考察というほどのことはできないが、感想と記録を残しておく。

今回見たのは日本語字幕版。

基本情報

監督はルネ・ラルーというフランス人。
ルネ・ラルー - Wikipedia
SFアニメを得意としているようだ。メビウスとも組んで映画を作っているらしい。こちらも気になる。
映画の現代はLa Planète sauvageで野生の惑星、未開の惑星という意味。ファンタスティックプラネットというのは英題のようだ。原題の方がストーリーの意味を取りやすい。
原作はステファン・ウルという人のSF小説、「オム族がいっぱい」。
原作の日本語訳は存在しないらしい。読みたくなったが、というか映画みて疑問に思ったことはきっと原作を読めば簡単に解決するだろうこともあるのだろうが残念ながらそれは叶いそうにない。
ファンタスティック・プラネット - Wikipedia
大人向けアニ10選のうちの10位に選出されている。
eiga.com

登場人物

  • オム族(人間)

惑星イガムの先住民族。日本語字幕では人間とされている。実サイズの人間と考えてよいだろうが、惑星イガムの中では決して支配者ではなく、小さくか弱い存在。
ドラーグ人に飼われている高等人種と自立する野生種がいる。
テール:主人公。ドラーグ人の少女ティバに飼われていた際にドラーグ人の知識を身に着ける。ティバのもとから逃げ出す。
テールの母:物語の序盤でドラーク人の子どもに遊び殺される。
野生の人間族の女性:ドラーグ人から逃げ出したテールを助ける。テールの恋人になる。
野生の人間族の族長:ドラーグ人の知識を持つテールを仲間に受け入れる。決闘裁判を執り行う。ドラーグ人に殺される。
野生の人間族の女族長:対立する人間族でテールを一時的に拘束する。

  • ドラーク人

惑星イガムに昔移住してきた種族。人間よりはるかに大きい。高度な文明を持つ。瞑想と呼ばれる行為に多くの時間を割く。
人間に対して危機感を持つドラーグ人もいる一方で、ペットとして人間を飼うドラーグ人もいる。
ティバ:母を失ったテールを拾い、育て、名づける。ドラーク人の少女。
シン知事:テレーズ県を統治するドラーク人。対人間政策の穏健派。人間の知性を認めており、必ずしも有害だと思っていない。
ティバの母:シンの妻。
ゴアム県の知事:議会で話している
ユルタナ県の知事:議会で話している

ストーリー

入植者ドラーグ人が支配する星、惑星イガムにてオム族すなわち人類は小さく矮小な存在として虐げれていた。
ドラーグ人の子供たちに母親をもてあそばれて殺された赤ん坊の主人公は、ティバというドラーグ人の少女に拾われ、テールという名前を与えられて飼われる。ドラーグ人の一週間がオム族の一年に相当するためテールは見る間に成長する。
ティバが用いるレシーバーという学習機で共に学習し、知識を身に着けたテールは飼われる身をよしとせず、ティバのもとから逃げ出す。自由を奪う首輪のためにティバに危うく引き戻されるところだったテールは野生種の女性(少女)に助けられる。
ドラーグ人に関する知識を持っているテールは野生種のコミュニティに受け入れ、レシーバーを使ってオム族にドラーグ人の知識を身につけさせる。
テールと野生種の女性は恋人同士になる。野生種のコミュニティはこの知識を元にしてドラーグ人から奪う術を洗練化することに成功する。
ドラーグ人は、人間を恐れて人間狩りを行うことを議会で承認する。
人間狩りが行われることを知ったテールは対立するコミュニティに捕まり、ドラーグ人から逃げることを主張するが女族長はテールを縛り上げる。
テールがつかまった後、人間狩りが実施されて、ドラーグ人が使う人間狩りの兵器によってオム族は殺される。女族長はテールの縄を切り、逃げるように促す。テールのいたコミュニティも毒ガス攻撃を受け、多くのオム族が死んだ。絶望したテールだったが、レシーバーを引き釣り逃げようとする恋人を見つけ、ともに逃げる。道中で対立していたコミュニティ同士が協力して攻撃してきたドラーグ人に反撃し、一人を殺す。しかし、そのときテールのいたコミュニティの族長は死んでしまう。
対立していたコミュニティの女族長とともにドラーグ人のロケットの墓場に向かう。そこでテールたちはドラーグ人の文明を利用する形で知識と文明を成長させ惑星イガムから脱出することを計画する。イガムで三つの季節、オム族で15年が過ぎ去った後、ロケットをオム族用に改造することに成功するが、ちょどそのとき、ドラーグ人も墓場にいるオム族を見つけ攻めてくる。辛くも逃げ出したテールたちは未開の惑星を発見する。この野生の惑星には多数の首のない男女の彫像が荒野に立っている場所だった。彫像の首は瞑想を行うドラーグ人が意識を運ぶ場所であり、ここでドラーグ人の生命維持と繁殖が行われるのだった。
ドラーグ人の意識と合体した彫像は男女の組でダンスを始める。このときテールたちが像を攻撃して破壊すると瞑想中のドラーグ人は死んだ。この結果ドラーグ人は人類と闘うことをやめ、和平の道をさぐることになる。
和平の結果、オム族は新たな人工惑星を移住先とすることになる、この惑星はテール、すなわち地球と呼ばれることになる。

ドラーグ人の歴史

人間は、惑星イガムの原住民である一方で、ドラーグ人は後から入植してきた種族である。レシーバーと呼ばれる学習装置で一部ドラーグ人の歴史が語られている。

ザレ総督というドラーグ人が数千年前ピラミック文明を築く。
伝説では総督の魂は霊廟を徘徊している。銃弾で撃たれても死体が腐敗しない。
魂は定期的に惑星イガムの空に現れる。(アニメ内のイメージとしては首だけ空をすいすい動いている)
ザレ総督の魂のイガムへの出没はヤンコ人の侵入から続いている。
ドラーグ人に欠かせない瞑想はこの伝説から生まれた。
ある説ではザレ総督は不死身。無限に増幅するこの世に現れる。(アニメ内のイメージとしては複数の世界?ようなところに転移するザレ総督の首)
そしてドラーグ精神の中で死と闘う・・・。
ピラミック文明の後、ドラーク人はヤンコ人と闘う。

以上がレシーバーにて語られる内容である。
これを基にドラーグ人の歴史を推察して時系列に並べると

惑星イガムとは別の惑星(おそらくドラーグ人の母星)にてピラミック文明という文明が隆盛を極める。
その立役者がザレ総督である。
ザレ総督暗殺される。
ザレ総督の死体は死後も腐らず、魂は生きているとの伝説が生まれる。ドラーグ人の間で魂の重要性が認識される。
ザレ総督を神とする一種の宗教になる。
ザレ総督の魂に近づくための方法として瞑想が誕生する。
ドラーグ人の繁栄のために瞑想が欠かせないものとなる。
ヤンコ人がドラーグ人の母星に侵入。ドラーグ人との間で争いが生まれる。
ヤンコ人から逃げる形で一部のドラーグ人が新天地、惑星イガムに入植する。
ザレ総督の魂は惑星イガムでも引き続き信仰の対象となる。

以上がドラーグ人に語り継がれている伝説なのではないかと思われる。
伝説ではザレ総督が瞑想のきっかけになったという形であるが、本来はドラーグ人の繁殖にかかせない瞑想という行為を説明するためにザレ総督という人物を使って説明しているだけなのかもしれない。
つまり、上のストーリーはあくまでドラーグ人の信じる伝説、神話であり、実話ではないということだ。
そう考えて見直すと、自分たちの星が繁栄した後、別民族により星が滅ぼされ、自分t内は別の惑星に逃げざるを得なくなったというストーリーはユダヤ人の歴史に似通っているとも感じられる。

オム族の歴史

オム族の歴史はあまりはっきり語られていないが、ドラーグ人がオム族を調べた結果を報告している箇所にて一部推察できる。
オム族は現在、高等人種と呼ばれるドラーグ人に飼われるものと野生種とよばれる自分たちで生きている種族に分かれているが、ドラーグ人の侵入前はそういった区分は当然なかったと思われる。ただ身分の違いはあったのかもしれない。つまり、高等人種はドラーグ人の侵入に際してドラーグ人に忠誠を誓った人たちの末裔であり、野生種は従わなかった人たちの末裔であるということだ。飼われているか飼われていないかが区別の根拠だとすると高等人種という呼び名は少々違和感がある。家畜種や飼育種という呼称でよいはずである。これに関しては翻訳の関係もあるかもしれない。
高等人種に関しては知識を持っているということをにおわすような描写もあるので知能面での区分だったのかもしれない。また、テールがレシーバーの使用に伴い、オム族の魔術師と対立したときに、魔術師側は我々は高等人種ではないと発言。高等人種という呼び方に侮蔑の意味があるもしくは野生種には野生種の誇りがあるのかもしれない。その根拠はドラーグ人への恭順を示した民族への侮りと独立を目指した自分たちへの誇りとみることも可能であろう。
現在のオム族は、特に野生種は原始的な生活を行っており、高等人種であっても闘犬のかわりのような扱いを受けており、知能が高い生き物であるという待遇は受けていない。一部ドラーグ人はオム族の知能を認めており、その証拠としてオム族が過去に建造してでろう建築物の遺構を議会にてみせているシーンが存在する。そのシーンではレンガでできた建築物の一部が映っており、オム族が今よりは高度な文明を持っていたが、何かをきっかけにそれらを失ってしまい。現在ではその文明のことを覚えているオム族はいないという設定のようである。
オム族が自らの文明を失ったきっかけは描かれていないが、可能性としてはドラーグ人の入植が原因である可能性はあると思われる。ドラーグ人の入植はそこまで昔のことではないのかもしれないが、ドラーグ人の一週間がオム族の一年に相当することから、オム族の歴史はすでに失われて久しく、それを覚えているオム族はいないのだろう。
また現在、野生種は現在数十人単位のコミュニティにわかれて暮らしており、コミュニティ同士は対立している様子である。

瞑想という行為

ドラーグ人が行う瞑想という行為は映画の最初方からドラーグ人において重要な行為であることが示されていたが、最終的にドラーグ人の生きるすべであり、繁殖行為であることが明らかになった。瞑想という精神的な活動が肉体的な生命を保つための手段として確立されているのが面白い。
しかも異星人と婚姻の儀式の場として未開の惑星は存在しているとの説明がされている。異星人との婚姻というのは全く異なる異種族との交配を意味しているのか、あるいはちりじりになって別の惑星で過ごすドラーグ人との交配を示すのかよくわからない。あるいは婚姻=交配ということではないのかもしれない。
生命エネルギーを得る方法にもなっているらしく、瞑想がないとドラーグ人は生きていけないということになっている。
一方でティバのような子供のドラーグ人がはじめて瞑想に行くシーンも描かれており、ある年齢に達するまで瞑想は不必要あるいは人間の第2次成長過程における性成熟のように成長過程で会得するような存在である。いずれにせよ少なくとも子供のドラーグ人にとっては瞑想はなくても生きていけるものであることがわかる。

学習機としてのレシーバー

ドラーグ人は学習法としてレシーバーを用いている。レシーバーはヘッドフォンのようなカチューシャのような形をしており、様々な知識について頭の中イメージと音声が再生されるあるいは直接記憶させるような機会である。ドラーグ人の子供たちは勉強としてこれを利用して必要なことを学んでいく。学習内容はイガムの気候や地域ごとの特徴。ドラーグ人の歴史などであるが、科学的な知識もおそらく含まれていて、テールたちはこれを利用してロケット開発を行った。
これを使用しているときのアニメの絵が面白い。頭の部分が窓みたいになってみている映像がアニメーションとして示される。映像が直接流れ込んでくることを示している演出だと思うのだが、演出法として直接的で逆に面白い。

オム族の繁殖方法

野生種のコミュニティに参加したテールが見たオム族の繁殖に関わるだろう儀式。満月の夜にドラーグ人の頭蓋骨の上に族長が立ち砂金粒みたいなものを人々が受け取る。特に最初に砂金粒みたいなものを二人の女性が受け取り、その二人はドラーグ人の頭蓋の眼窩に立つ。そして二人はなまめかしく?男を誘惑しているように見える。砂金粒を受け取った人は光輝いて見える。その後男女一組になって逃げる女性を男がおいかけしばらく走った後に木の根っこや隙間に二人して入っていく。おそらくその後繁殖行為が行われていると思うのだが、この様子をテールは無表情というか冷たいというかなんとも言えない表情で見ている。(基本的にこの映画、登場人物が表情に乏しいので喜怒哀楽がわかりにくい)テールがこれを無表情で見つめているのは肉体的なつながりを馬鹿にしているのかと思ったが、その後自分を助けてくれた野生種の女性と恋人関係になっているため、その説明では行動に一貫性がない。
これはおそらくドラーグ人の精神的な活動による繁殖活動に対する対立構造としてのオム族の肉体的な繁殖だと思われる。体の小さいオム族の一年はドラーグ人の一週間のためドラーグ人にするとすぐに買うが増えるということに危機感をいだいており、これが人間狩りの理由の一つとなっている。人間に対するネズミのようにオム族算的に増えていくようにドラーグ人には見えるのだろう。

気になった雑多な点

赤い火薬

ドラーグ人の文字を読めるテールがその証拠として盗んできたドラーグ人の荷物の中身を当てるシーンで赤い火薬が男の周りを取りかこむ描写。火薬が意志をもっているような動きをする。これは何?ただの演出?おっさんの顔もよくわからんくて笑ってしまった。

ドラーグ人の物資

仮ぐらしのアリエッティみたいにドラーグ人のものを盗んで生きている野生種がいるわけだが、火薬が入った箱などサイズ感がドラーグ人用でないことが見て取れる。オム族のサイズはドラーグ人の手のひらサイズ以下くらい。オム族がギリギリ抱えられるサイズの箱というのはドラーグ人にとってはキャラメルサイズくらいなので、その中に火薬を詰めて保管するっていうことはありえるのだろうかと思える。正直オム族が盗んできたものは小さすぎていてご都合主義感がぬぐえない。
ちなみにこの物資を盗む行為を野生種たちは「探検」と呼んでいる。

決闘裁判

ヨーロッパにかつて存在した決闘および決闘裁判をもとにしていると思われるエピソード。闘獣と呼ばれる大きな口と牙をもつ青い獣を決闘を行う人間の全面に括り付けて戦う。人間の手は縛ってあるので人間が使えるのは足での移動。一方で闘獣は手足が退化?しているので機動力は人間たより。人間は傷つかないのかと思いきや闘獣で相手を殺すのでどのように合理化されたシステムなのか不明。決闘裁判でしばしば代理人の決闘士がたてられたことへの揶揄だろうか。
ja.wikipedia.org

テールの恋人の行動

テールの恋人が腕を爪でひっかいて何かを書き、テールに見せる、そのあと二人はキスする。→意味不明。

服を作る生き物

人間に服を作ってくれるお団子のような幼虫のような生き物。蚕の完全上位互換のような生物。微妙に丈のたりない服しか作ってくれないが便利そうである。最初複数で泡みたいなものに包まれたと思うと、糸が紡がれており、複数のお団子幼虫にとって編み込まれ服が完成していた。
服ができた後に女に取り囲まれるシーン。踊っている女たちがマティスの「ダンス」みたい。
【作品解説】アンリ・マティス「ダンス」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

血を浴びる行為

蝙蝠のような鳥のような頭から羽が生えた生き物が人間を捕食しにくる。とげのついた口吻で住居になっているトンネルに穴をあけて人間を長い舌で書き集める。人間はドラーグ人をおいても惑星イガムの中で弱い存在であることが強調される。しかし、人間は自分より大きな生き物にも立ち向かい班を破ることで打ち勝つ。仕留めた生き物の血を飲むシーンがあるのだが、これは野蛮さの象徴だろうか。あるいは血は単純に栄養があるから飲むというシーンだろうか。テールがシャワーのように血を浴びるシーンもあり、何かしら意図があると思わざるをえない。
オム族こと人間の血は赤く、この蝙蝠のような生き物の血も赤い、一方でドラーグ人の血は青いことが物語中で示されている。これはドラーグ人が別の惑星からやってきた生き物であることを象徴的に表しており、一方で人間やその他の生き物は惑星イガムの固有種であることを示しているのだろう。

人間狩りの兵器

物語後半の人間狩りが激しく行われるシーンで現れる兵器たちについて。
毒ガス攻撃をするルンバみたいなロボット。円盤状のお掃除ロボットのような見た目の上部に短い筒が放射状についていて、その筒からタブレット型の毒ガスを多数発射する。自立運動するようで移動しつつ毒ガスタブレットを散布する。散布する場所を判断しているかは不明。タブレット型の毒ガスは自然と気化して最後にはタブレット部分は消えてなくなる。毒ガスなので当然ともいえるが惑星イガムの気体より重く上部へはあまり拡散しない。人間用のガスマスクが開発されていてヒモにつながれてガスマスクを装備した高等人種がドラーグ人に連れられて人間を探す役割は果たす。ドラーグ人はガスマスクをつけていないが、ドラーグ人にとって毒性がなく、オム族にのみ効果のあるガスなのかあるいは上部に拡散しにくいのでつけていないのかどちらかなのか不明。
光を照射する兵器。地上からあまり高くない位置を飛行して広範囲に可視光を照射。照射されるとその範囲にいるオム族は死んでしまう。どういった原理化は不明だが、オム族にのみに効果があるようである。
ボーリング兵器。オム族の数倍の直径を持た玉が転がってきて、オム族をひき殺す兵器。
刈り取り機のような兵器。オム族を刈り取るように殺す兵器。
兵器に関しても様々な種類が投入される。

レシーバーの知識

トリニール:白い金属
レスリード:まばゆい金属

惑星イガムの動植物

人間以外の固有種がなかなかにキモくて特徴的な奴らにあふれている。ヒエロニムス・ボッシュっぽいなぁと思っていたら、宮崎駿湯浅政明も同じような感想を持っていたらしい。というこは監督はボッシュを意識したのだろう。上で書いた、闘獣、服を作ってくれるお団子幼虫、蝙蝠のような鳥のような生き物だけでなく生物が登場する。以下で覚えているものを列記。
バルタン星人の爪のような植物。ハサミのようでもある。
鞭のような枝を持った植物。鞭打つように動く。
卵から生まれる手のないトカゲみたいな生き物
チョココロネに足が生えたような生き物。手のないトカゲを捕食する。

スモールライト

ロケットの墓場にてオム族はドラーグ人用のロケットをオム族ようにダウンサイズしていた。その際墓場に残されたロケットのパーツをスモールライトのように光を照射することで小型化する装置を開発していた。

まとめ

独特の不気味な雰囲気と気になる表現が多い映画であるファンタスティックプラネット。感情の表現が乏しいアニメだからこそよくわからない部分も多く、謎を深めている。ファンタスティックプラネットに込められた意味を考察しようという向きも多いようだが、SFの舞台装置としてはよくあるような設定だとも思えた。生き物の多様さは地球の長い午後を思い出した。
ドラーグ人の瞑想、精神世界による生命エネルギー、生殖活動というのも60's 70'sの文化に則している設定なのではないだろうか。
変に引き込まれる魅力がある映画であるのでまた機会があれば視聴したい。