があらんどう

伽藍洞です。

量子力学の始まりに隠れた日本神話

量子力学の教科書、解説書というのは多岐にわたっている。私も調べたわけではないのでだが、こういった入門的な本の多くの導入が量子力学が生まれる歴史的経緯から説明することが多い。すると自然と説明されることになるのがプランクの輻射式である。プランクの気づきが量子という考え方をもたらしたという流れである。
この導入は初学者にとって当時の学者たちが頭を抱えていた問題点を理解しやすく非常にとっつきやすいものになっていると思う。一方でこのプランクが解決した問題というのは人類が金属を精錬し始めたときからの問題、課題につながっていると思われる。それは日本神話を含めた世界の神話に入り込んでいるし、日本の昔話や妖怪といった俗世間的なお話にまで深く根をはっている問題であると個人的には思っている。
今回は「量子力学のはじまり」と神話とのつながりについて述べてみる。


量子力学が産まれる直前の物理学界隈というのはある種の閉塞感があったらしい。というのはニュートン力学の完成、電磁気学、熱力学がまとめられ物理学上の基本的な原理というのは理解されたと考えられていたからということだ。もちろん世界のすべての現象を理解したというわけではないが、基本的な原理を個別の事象に当てはめていけばよいという理解がされていた。そうなると新たな物理原理を発見しようと考えるものが少なくなる。これが最初に述べた閉塞感となっていたという話である。
しかし、プランクが発見したエネルギーの最小単位という考え方からミクロな世界はいままでの物理では理解できないという考え方が俄かに広まり、量子論ひいては量子力学が作られていったということである。

ではプランクはなぜエネルギーに最小単位があると気付いたのか、あるいは何のエネルギーに最小単位があると気付いたのか。それはよく知られた黒体輻射現象がきっかけであり、放出される光のエネルギーに最小単位があると気付いたのである。大抵の量子力学のお話はここから始まる。せっかくなので黒体輻射現象についても次で簡単に説明していくことにする。

黒体輻射なんて難しい名前がついているのでとっつきにくい。当時プランクをはじめ多くの物理学者は非接触に温度を測りたいというモチベーションを持っていたのだ。つまりは溶鉱炉の中の鉄といった高温の物質の温度を正確に測れないだろうかという取り組みである。これはプランクのいたドイツをはじめて当時の国々において非常に重要な課題であった。なぜなら鉄の生産は国力に直結するからである。(日本も明治維新後に官営八幡製鉄所を開いて富国強兵策を図っていることからもわかる)

鉄の状態などの冶金学のような部分は私はあまり詳しくないのでふんわりした説明になるが、鉄というのは温度によって様々な結晶構造を作るらしい。製品になった鉄やステンレスの型番には様々な種類があるがこれらは結晶構造の違いによるものもあるそうだ。聞き齧りでいえばマルテンサイトやオーステナイトといった構造である。これらの結晶構造によって機械的な特性が変わるので精錬する際の温度は製鉄上重要な要素になるという話のようだ。

どのようにして温度を測るのか。光を用いるのである。温度の高い物体が光を発するというのはよく知られたことだろう。金属を熱すれば赤く赤熱する。この光を利用して温度を知ろうというのである。赤く光を発する物体をさらに加熱していくと光は黄色くなっていき、さらに加熱していくと白っぽい光になる。赤く鈍く赤熱している金属と黄色がかった白く光る金属の写真を見比べるとだいたいの人は直感で(あるいは経験上?)どちらが温度が高いかわかる。もちろん白く光る物体の方である。赤く赤熱させた金属球を氷の上に置いて溶ける様子を観察する、ネット上でよく見る動画がわかりやすい。
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Youtubeでわかりやすい動画があるので参照してほしい。最初は黄色っぽく光る金属球が氷に触れると赤い色に変化し、徐々に鈍い黒っぽい赤になっていく様子が見て取れる。温度が下がっていくにつれて黄色→赤→黒に変わっていくことがわかるだろう。この物体が温度に応じて発する光のことを輻射と呼ぶ。これを利用して温度を測ろうというのが約百数十年前に盛んに議論されていたということだ。

この輻射を利用する方法というのは、はるか昔から、おそらく人類が金属精錬を始めたころから使っていた技法であろう。古代の金属精錬の技術者たちも赤熱する金属の自分たちの目と経験則から適切な温度を判断していたと思われる。つまりプランクの仕事は、こうしたそれまで職人の経験則で行われてきた測温技術を定量的にかつ物理的根拠を与えるものであると位置づけられる。

さて、古代の金属精錬技術者たちも輻射を利用していた、というところに物理の話に神話が交わってくる。金属精錬や金属の登場というのは世界および日本の古代社会において大きな影響を及ぼし、神話においても象徴的に扱われているからである。

上で述べたように古代の金属精錬者は直接自分たちの目で光を観察することで適切な温度を知ってきた。(あるいは近代にいたるまで鍛冶の職業病だったと思われる)そのため目を傷めることが多かった。つまり片目を失うことが多かったといわれる。もしくは火の加減をみるために片目で見ていたから。そのため、金属精錬者イコール片目あるいは一つ目という伝説が生まれた。洋の東西を問わず神話という形でこれらは残っている。

日本神話に関して述べれば、天目一箇命という神があらわれる。天岩戸の奥に隠れた天照大神に再び出てきてもらうために八咫鏡八尺瓊勾玉が作られたが、八咫鏡を作った神として登場する。その名の通り、目が一つであるということがうかがわれ、金属精錬に関わる神が一つ目である証左といえる。

高校生のころ、なぜか第3の目という、天目一箇命に関する本を買って読んでいた。すでに詳細な内容は忘れているのでもう一度読み返したい。

西洋においてはどうなのかというとギリシャ神話においてキュクロプス(ゲーム等では英語名のサイクロプスとしてでてくることが多い)は、単眼の巨人である。鍛冶の神であるヘパイストスのもとで鍛冶をしている。
キュクロープス - Wikipedia

話は前後するが、日本においては一つ目の金属精錬者が恐れられて妖怪化し一つ目小僧になったという説もある。前述の神様が零落した姿であるという説もあるようだ。さらに鉄はたたら製鉄によって生み出されることが多かったので、足を酷使、特に片足を酷使して悪くする人がおおかった。これが妖怪、一本だたらの元ネタであるという説も存在する。

ではなぜ、金属精錬者たちは神格化あるいは妖怪化されたのか。それは金属を生み出すことが神秘的な魔法的なこととして映ったからであろう。野山を切り開いて火を操り、土や岩から輝く金属をうみだし、自在に形を変え、農具や武器をつくる。こうした技術は古代であれば人知を超えた奇跡として映ったに違いない。人間はわからないもには恐怖をいだく、畏れをいだく、これが金属精錬に携わるものが特別視された理由であろうと思われる。

金属精錬者が異端であるという側面をうまく作品として書き出しているのが宮崎駿監督のもののけ姫であろう。たたら場は金属精錬の場であり、エボシをはじめとしたたたら場の人々は金属精錬に携わる人々である。彼らがいつシシ神の森に来たのかはっきりと明言されていないが、金属精錬を行う者たちは定住せずに金属あるいは木を求めて各地を移動する生活をしていた。これは金属精錬には鉄の素材がいること、それから精錬には大量の燃料となる木が必要となったからである。

もののけ姫のテーマの一つがたたら場の人間と森の神々の戦いである。これは、燃料のために切り倒す人間と住処を奪われる森の神の争いという構造である。このような対立構造が金属精錬者と農民の間で存在した。その象徴たるものが映画のたたら場が映る最初のシーンあたりに映っている。かんな流しである。かんな流しは砂鉄を効率的に得るために土砂を切り崩して水の流れで砂鉄を分離する手法である。必ずしも農業に悪影響のみではなかった面もあるようだが、農業用水を滞らせるといった悪影響があった。このため、かんな流しをするものと農民の間で争いがおきたということである。こうした人間たちの対立構造をもののけ姫では人間と神の対立構造に置き換えたと考えらえる。

また、大量の燃料としての木を必要としたので山から木がなくなり、これも農業に影響を与えたと思われる。もちろんこれを考慮して、たたら製鉄をしていた人々は山に
木々を戻すために場所を転々としていたと思われる。こうした理由で金属精錬者は定住しない、いわゆる「まつろわぬ民」であった。

話がずいぶんずれていったが、量子力学のイントロともいえる輻射は、古代から世界中で人々利用されてきた。しかし、その物理的な理解がなされたのは意外にも百年と少し前くらいなのである。
この量子力学の導入の話、私の好きなものがちりばめられていてたまらなく好きである。